チクマの哲学・制作方針
音楽・音楽再生に対する哲学
ある作曲家は"音楽"について
「人間の本性の最も奥深い深淵を再現すること」と音楽の重要性を訴えています。
またある作曲家は
「音楽とは、知恵よりも哲学よりも、更に高度の啓示である」と言っています。
このような言葉や、音楽や歌・芸術をもたない人々はいないことからも、
音楽は人々の人生に寄り添う必要不可欠な音の芸術であると考えます。
現在、様々なメディアを通して、いつでも簡単に聴ける音楽が洪水のように溢れています。
このような状況は、音楽を身近なものにするという良い面がある一方で、
満ちあふれた音楽が人々の感性を麻痺させているのではないかと危惧しています。
ある日本の画家は "文化と文明の違いに" ついて
「印刷した画集で名画を見るのは文明であって文化ではない。文化に接するには、
ルーブル美術館ならルーブルまで行って目で見なければならない。」と言っています。
音楽に言い換えれば、
直接コンサート等に赴いて生の音楽を聴くことは文化であって、気軽にメディアを通して
簡単に音楽を聴くことは文明になります。
では"オーディオ"はどのように捉えて位置づけすればよいのでしょうか。
チクマはこう考えます。
文化として位置づけるオーディオと、文明として位置づけるオーディオの
二つに分けて捉える必要があると。
チクマは文化としてのオーディオを追求し続けていきます。
オーディオの役割・チクマの役割
"文化としてのオーディオ"とはどうあるべきか。
作曲者・演奏者・録音技術者がメディア(CDなどの媒体)に込めた音の中にあるすべての情報、
つまりは"音楽"を余すところなく自然に、
在りのままに再現し、伝えることがオーディオの最も大切な役割の一つであり、
オーディオが文化に値する第一条件であると考えます。
音楽だけでなく、同じことが映像にも言えると考えます。
メディアに込められた"音楽"や"映像"を在りのまま再現し、伝える。
つまりは高忠実再生です。
その為にはメディアの中に込められた音楽や映像のを再生する過程で付加される、
様々な"不必要なものを取除く"ことが必要であると考えます。
この不必要なものがメディアの中にある在りのままの音楽や映像の再現から遠ざけるのです。
チクマはこの不必要なものを取除く、特殊電磁界処理やシンプルな構造や振動減衰技術などの技術を
徹底して研究・開発し、再生システムに電源供給するという影響力のある、根幹の役割を担う
電源関連製品を中心に様々なオーディオ機器を開発・製造をしています。
電源関連製品をはじめ様々なオーディオ機器を製造をすることで、
メディアの中に込められた"人々の人生に寄り添う必要不可欠な芸術"
を在りのまま伝え続けることが、チクマの役割であると考えています。